温泉社長のちょっと一言

2010 年 2 月 のアーカイブ

「もう一つの日本~東北」その3

2010 年 2 月 28 日 日曜日

 

 

東北の歴史は、中央政権からの抑圧と侵略の歴史でもあります。

東北から西方の制覇を目論んだことはことはなかったけれども

(あったとしたら伊達政宗くらいかも)

いつも中央権力の威圧と横暴に苦しめられた歴史でもあります。

 

 

4、 豊臣秀吉による天下統一は北条氏政の降伏(天正18年)

によって終わっていると歴史教科書では教えられていますが

実はその後に二戸城(岩手県二戸市)を拠点に九戸政実が

北奥羽の武士を集めて、秀吉の天下統一に抵抗して戦った

「九戸政実の乱」がありました。

 

豊臣軍六万五千に対して二戸城に五千人で戦い

最後は諜略によって斬首されてしまいます。

 

これで初めて天下統一がなったというのが事実です。

 

 

5、そして、幕末戊辰戦争がはじまると、会津と庄内藩の救済嘆願から

始まったのが「奥羽列藩同盟」です。会津、庄内の両藩が朝敵扱いされ

ていることに「不義」を感じた東北の各藩が同盟を結んだのです。

 

当初は軍事的な意味合いはなかったと思いますが

薩長側があくまで敵視し強圧的であったために

軍事的同盟にならざるを得なかったのです。

 

その後、越後長岡藩なども加わり、東北と新潟の31藩となり

「奥羽越列藩同盟」となりました。

 

われわれからすれば「正義の同盟」です。

 

当時のアメリカ公使は本国に

「いま日本には二つの国がある。現在北方政府が優勢である。」

と伝えています。

 

新潟から東北、北海道までを含めた「北部政府」を構想していたようです。

実現していたら、まさに「二つの日本」が出来たことになります。

 

 

結局、薩長側の策略や工作、同盟同士の裏切りで瓦解してしまい

「賊軍」の汚名を着せられて明治を迎えることになったのです。

 

その後、近代になっても「東北」は差別と蔑視の辛い歴史がつづく

ことになりました。

 

 

「東北人」は決して、愚鈍や蛮民などではなく

「正義感」が強く、忍耐強く、友好を重んじる

縄文人的性格の人が多いところだと思っています。

 

東北人としてのプライドをもっと持ていきたいものです。

 

 

 

 以上、こんな歴史のある「東北」ですから

観光の切り口として

 

「もう一つの日本~東北」

を提唱していきたいと思います。

 

 

 

「もう一つの日本~東北」その2

2010 年 2 月 7 日 日曜日

 

日本の歴史は、西日本地方から始まって、江戸(東京)の中央政権の

歴史を教科書で教えられ、それが「日本の歴史」としています。

 

しかし、これは勝利者側に立った一方的な歴史だということです。

つまり、歴史の一面を伝えているだけで、全国各地には、それぞれの

歴史を持っているわけで、特に、東北は中央政権と対峙しながら

 教科書では語られていないもう一つの日本史があるのです。

 

それが「もう一つの日本~東北」ということです。

その事例のつづき、、、。

 

3.1056年に始まった、前九年の役とそれにつづく後三年の役は

北東北で勢力を持ってきた「安倍一族」の自治に対する大和朝廷

の介入であり侵略行為であると思っています。

 

源頼義・義家親子に滅ぼされた安倍一族の無念は藤原三代へと

繋がっていき「平泉文化」として100年の栄華を築いたのです。

 

マルコポーロが東方見聞録として伝えた「黄金の国ジバング」

は平泉のことであり、当時の中国では日本の中心は平泉だと

解釈していたのです。

 

しかし、ここでの中央政権(鎌倉幕府)からの侵略にあい

滅ぼされてしまいます。

 

 

私は日本が曲がりなりに「一つの国」という意識を持ったのは

この時代が最初ではないかと思っています。

 

それまでは、大和の国ともう一つ強力な自治権をもった

東北地方の国(総称して日高見の国)があったのだということを

思っています。(歴史からは抹消されている)

 

 

「蝦夷は氣高い野蛮の国であったかもしれないが

大和朝廷は野蛮な文明人であった。」

 

と言ったら言い過ぎだろうか?

 

少し思い込みが強いといわれそうですが

「東北人」のわれわれは、それくらいの思い込み

があってもいいと思います。

 

あぁ、まだまだ言いたいことがありますが、

次回へ、、、、。

「もう一つの日本~東北」その1

2010 年 2 月 3 日 水曜日

 

先日、東北地区の旅館の経営者の方々と懇談会をする機会がありました。

その中で、東北の観光を推進する上での共通のテーマってなんだろう?

という話になりました。

 

 

そこで話題になったのが
「東北の歴史をず~っと眺めると、
中央政権に対して独立心を持ち、対立や反発しながら培った
文化や民俗があるのではないか?」

「それは、そのときその時の中央政権(大和朝廷や幕府)
の都合のいいような歴史に作り上げられ、虐げられながらも、けな気に生きてきた風

土や人間性を持っている地域ではないか?」
ということで盛り上がりました。

その事例として、以下のような歴史の事実があります。

 

 

三内丸山遺跡は、単なる縄文時代の遺跡ではなく、
集落を形成して千年以上も定住生活を営み、
食物を栽培し交流や交易もあり、

高い文化レベルをもっていたこと。
しかも、エジプト文明が栄えるよりずっと前の
5500年前に栄えた文明である。

 

 

2.歴史の教科書で教えられる「蝦夷征伐」は「蝦夷侵略」だった
のが事実であること。

東北地方の豊かな資源や産物を手に入れたい大和朝廷が坂上田村麻呂
を使って武力で制圧しようとした「侵略戦争」だった。

結局、武力では勝つことが出来ず、ときの首領のアテルイをだまして
京都に連れて行き、首をはねるという卑怯なやり方で治めたこと。

 

「征夷大将軍」というのが、武士の最高の位としているが
それは、蝦夷を治めなければ日本を治めることにならないことの
表れではないか。

 

 

つづきは次回に、、、。